30代でゲイでHIVで

まずは自分の記録のため、いつかは人の役にたてると良いなと思います。

服薬開始から1ヶ月後の受診

エイズ治療の地域ブロック拠点となっている大病院に初めて受診をしてから約2ヶ月。

なんだかんだあって この病院に来るのも5回目となった。

都会の病院だからなのか、毎回 病院のスタッフみなさんが非常にスマートに対応いただけることがとにかくありがたい。

かと言って 変に事務的すぎるわけでもなく、さり気なく気遣いをしてくれる。本当にここの病院にして良かったと毎回思う。

初めての受診の日はあんなにドキドキしていたのに、今ではスルスルとことが進む気がする。自分自身の性格の問題もあるかもしれないが、慣れるものである。

 

さて、今回の診察の予約はもともと午後のゆっくりめの時間に設定してあったが、前日に担当の医師から電話があり、午後に予定が入ってしまい、少し診察時間を前にできないかと連絡をいただいた。この病院は研究施設も兼ねていて、そう言った都合で午後は研究に関する予定が入りやすいということは聞いていた。自分的には全く問題ないので2時間ほど前倒してもらうことにした。結果的に午後が有効に使えて良かった。

 

さて今回の診察は約1ヶ月前に抗HIV薬であるビクタルビの服用を開始して約1ヶ月となり、ここからさらに1ヶ月分の薬を処方してもらうことが主目的であった。

幸い、特段の副作用もなく、このまま続けていくことになった。

最近 少し下痢気味で、朝のトイレの回数が増えていることが気になっていたが、それが薬の副作用の可能性もあるが、生活に支障をきたす程でもない。ビクタルビは非常に効き目の良い薬だというので、多少の副作用よりも、治療の効果を優先したいと伝えて、そういう方向性となった。

 

HIVウィルス量が低めに安定するまでは月1回の通院として欲しいという。

来月からは仕事の都合で今までのように平日にいつでも来られるわけではない。

残りの薬の量と、一度に院内処方で出せる薬の量を勘案して、都合の良い日を予約することができた。

 

今回はしきりに障がい者手帳の交付状況について質問をうけた。まだ届いていないが、交付のタイミング次第で窓口負担の金額が変わるので、今回は治療費も薬代も一旦保留となった。

この辺りの柔軟な対応、患者の負担をなるべく少なくしようとする心遣いも本当に素晴らしいと思う。

 

さて、今回の受診時に言われたこと。

今後も診察が終わった後に採血をして帰るので、結果は次回の診察時に分かるのだという。ただし、もし結果が思ったよりも悪かったり、何か特別伝えなければいけないことがあれば1週間以内に連絡をする。「便りがないのは良い便りと思ってて!」とのこと。その日のCD4を知りたい気もするが、まぁそれはとりあえず我慢しようと思う。今後、3ヶ月に一回受診となる際には、診察前に採血ができるようにお願いしようと思う。

 

ちなみに、初回71、2回目129で平均100という私のCD4が治療前のスタートの値だという。なお治療をしていないのに4週間後にCD4およびHIVウィルス量の数値が良くなったことについては、この程度は誤差の範囲で、良くなったとかそういうことではないのだという。

今後3ヶ月から半年でHIVウィルスは検出限界以下になることを期待している。ただしCD4が上がってくるには少々時間がかかることは認識しておいてほしいという。

実のところ、ここ最近 自分の免疫が低いということへの意識が薄くなっていた気がする。今一度 健康的な生活を意識したいと思う。なにしろ CD4は自分自身で作り出すものなのだから。。。

 

また今回も診察後に薬剤師と心理カウンセラーによる面談があった。

薬剤師とは副作用に関するより細かい話をした。この若い男性の薬剤師の先生とは非常に話がしやすい。

また心理士の先生とは、前回行った 性格診断のようなテスト結果のフィードバックを受けた。

他人への共感性が低いという結果があり、それは悪いということではないと弁明されて 「いやなるほどって感じですし、面白いから良いですよ」 とひと笑いした。

 

性格診断の結果が今回の治療とどのような関連性があるのか改めて質問をすると、毎日薬を飲むことや、定期的に通院することが極めて重要なことであるが、自身の性格の特徴によりそれが困難になるかもしれない状況を客観的に知っておくことが大切なのだという。

 

僕自身に関しては、特に心配はいらないが、過度に関わりを強要されるような対人関係のストレスがありそうな時は、適度に対処をした方が良いということだった。これにも非常に納得であった。

 

次回は1ヶ月後

もう生活の一部になりつつある。

どこで感染したのか・・・ 過去の性生活を振り返る。

ここまで、HIV感染が判明してから治療を開始し、自治体への障害者手帳等の申請するまでのことをバタバタと事実を淡々と記録してきた。

ブログに書き始めたきっかけは、HIV陽性が分かってからあまりにも色々なことが一気に押し寄せて、自分の気持ちが何に基づいているのかが自分でも分からないような状態だったため、頭の中を整理するために時系列で書き出しつつ、そのときそのときに感じたことを書き添えることで感情を頭で理解するというものだった。

結果的に、これはとても良いことで、書いたことは自然と頭から消えて、今すべきことだけに目を向けることができた。漠然とした不安もない。

もちろんブログだけが要因ではなく、ハルトがいること。打ち明けられた友人や家族がいることが1番の支えであることは間違いない。

また忘れてはいけないのは、保健所の方、病院の先生たちからの情報、ネット上にあるたくさんの情報にも支えられた。ここに書いた1人の体験談も将来の誰かに役立てばという思いもある。そのためにもしっかりと治療をして幸せに暮らしていけるように毎日を大切にしようと思う。

 

また当事者でない(と思っている)人に向けても伝えられることができるのならば、ほんの3ヶ月前まで自分もそうであったと(思っていたと)いうこと。

なぜなら、感染しているなんて思わなかったから

 

その時の考えは

HIVは感染力が低い

・コンドームをつけずにアナルセックスのウケをすることが危険

・しかもそれはたまたま感染している人とそうなった時にリスクが高いというものでそうそう巡ってくるものではない

 

そういう意味では、これまでに生でアナルセックスのウケをしたことはほとんどない。

2007年に検査で陰性を確認して以降、せいぜい5回・・・ 今思えばあるんかい!って思えるけど、自分にとっては原則セーフ派と思っていた。

しかもこの5回のうち3回は外国(台湾、アメリカ、インド)でのこと。

そう、旅行中にハメを外すことが多かった。

 

そして考えてみたらここ8年以内に2回淋病になっている。2014年と2020年である。

そしてこの間、徐々にポジションがウケからタチに変わっていった。

淋病の潜伏期間から考えると、旅行先での生での挿入行為があったことに気がつく。

 

タチとしての生でのアナルセックスもそんなに多く経験はないが、淋病をもらうくらい感染のリスクがある行為であった。

 

さらに言うと、 フェラチオはするのもされるのも全て生であった。この回数はもう数え切れない。。。 相手の名前も顔も思い出せない人のだらけだ。HIVウィルスは唾液にはあまり含まれていないというが、口の中が出血をしているとうこともあるので、可能性はゼロではない。現に感染力が強い梅毒はフェラチオを介して感染しているケースも多いと言う。

 

こういったことを書いてみると、感染も自業自得だと思う。

不謹慎かもしれないが、自由奔放な性生活を謳歌してきたと思う。

旅の醍醐味は現地での食と酒とセックスだ!と豪語し、一人旅を何度も繰り返してきた。

性病のことなどこれっぽっちも考えなかった。

 

いや何を被害者面しているんだ。むしろ自分はもしかしたら無症状キャリアとしてウィルスを撒き散らしてきた側であった。もしかするとそれはもう10年近く。

もし手段があるならば、これまでに自分と性的接点のあった世界中の方に、検査を勧めたい。

そして全てのセックス経験者には一度でいいから検査を受けにいって欲しいと思う。

これまで僕が数々のHIV検査の啓蒙を気にとめたことがなかったように、こういう訴えは届くことはないのだろうという気もする。

勇気を出して当事者として啓蒙活動をしている方には本当に頭が下がる。今は少しだけそうしなければいけないと思わされる気持ちが分かる気がする。

とはいえまだまだ自分がそれをできるとは思えない。

 

ふと思ったのだが、

新型コロナの接触通知アプリのように、匿名で性的接触者に感染を知らせる機能がゲイのマッチングアプリに搭載されていたらどうなのだろうか・・・

 

デリケートな内容すぎて色々な問題が生じるから難しいのかもしれないが、

少なくともまずは陽性者たちのモラル向上を率先して実施したいと思う。

服薬の日常 ピルケースとアプリ

HIV薬ビクタルビによる服薬治療を開始した。

心配された副作用は全く自覚しない。

薬剤師から参加協力を依頼されたスマホアプリを通じた副作用問診でも全て該当しないと回答している。

 

副作用といえば、1ヶ月ほど前に、梅毒治療のために服用していたアモキシシリンによる強めの皮疹を経験したのだが、おそらくペニシリンアレルギーの体質だったということで、今回の薬とは全く関連がないようである。

 

副作用がないことは治療を続けていく上で現時点でとりうる最善の選択肢ということなのだろう。さらに十分な効果が発揮されていることに期待したい。

 

さて、アモキシシリンは1日3回毎食後に2錠ずつカプセルを飲むというものだったし、その後変更となったビブラマイシンも1日2回朝夕食後に1錠と、アレルギーを抑えるためのオロバタジンを1錠飲むという少々面倒な服薬であったのに比べると、

今回のビクタルビは毎朝食事は関係なく1錠飲むだけ。しかも副作用もないとなると、服薬しているという意識がどうしても薄くなってしまう。

なによりも怖いのが飲み忘れだというのに。。。

 

恋人のハルトも飲み忘れがないように気を使ってくれる。

何かしら良い方法はないかと考えた結果、次のような方策をとってみることにした。

 

1つ目はピルケースを使うというもの。

100円ショップを巡り、サイズ感のちょうど良いものを探した。基本は1週間分をつめる。せっかくなのでビオフェルミンも一緒にセットし、ケースに曜日が書いてあるので飲んだかどうかが一目で分かるようになった。

 

2つ目はスマホのアプリを活用するというもの。

薬の飲み忘れ防止アプリというのがある。機能を見ていくと、一つだけで安心できるものがなかったので、2つ組み合わせて使うことにした。

ひとつは薬を飲んだらボタンを押すと時間が記録される。設定した時間(僕の場合は8時)を20分ほど過ぎても服薬ボタンを押さなければ、自動音声の電話がかかってくるというもの。とても優れものであるが、8時をお知らせしてほしいので、もうひとつのアプリでこれは8時になるとお知らせしてくれるというもの。ただし、このアプリはすでに飲んでいても飲んでいなくても必ずお知らせしてくれるので、先に飲んでいることが多いので少し鬱陶しさを感じるが、

飲み忘れたときが怖いのでこのくらいストレスを課しておいてちょうど良いのかなと思うようにしている。

 

もし自分でアプリを開発できるのなら こういうアプリにしたいなという構想はある。その機会があればチャレンジしてみよう。

いずれにしても 便利なアプリを無料で使わせてくれて感謝です。

 

最後に、服薬を開始してから何度か泊まりの旅行にも出かけている。こういうときに薬を忘れたり紛失したり ということがとても怖いので緊急用に1錠だけ別のカバンに持っておくためのピルケースも使うことにした。

最近、地震が頻発している。生きていくのも必死な状況にある国にもきっとHIV治療中の方もいることだろう。災害時などにも服薬を続けていかなければいけないリスクを自分でも考えておく必要があるなと  報道を見ながら思うのである。

恋人の2回目の検査結果

ハルトは一人で2回目の検査に行ってくれていた。

1回目の検査はHIVと梅毒ともに陰性であったが、

HIVに関しては、検査で検出される状態になるまで時間(2~3か月)とのことから、日を置いて再度検査せねば。という話になっていた。

 

1回目の時には検査にも結果を聞きに行くのにも一緒に行ったが、今回は特に僕に言わずに一人で検査に行ってくれていた。

僕とハルトはスケジュール共有アプリを使ってお互いの予定と二人共通の予定を書き込んでいるのだが、そこに検査を受けたということと、結果をいつ聞きにいくのかという予定が突如追加されていたことで知ったくらいだ。

ハルトには本当に負担をかけてしまっているな と改めて思ったけれど、こうしてさりげなく当たり前のように行動をしてくれるハルトの優しさが改めて身に染みた。

 

ただ、やはり結果を聞く時が一番ドキドキするものである。そこで結果を聞きにいくときには同行することにした。

 

結果は全て陰性であった。

もちろん今後も定期的に検査を続けていくと言っていたけれども、ひとまずハルトの無事がほとんど確認されて心の底から嬉しかった。

 

今後ハルトがPrEPをするという選択肢もあるのだが、ひとまずそういったことは考えていない。僕がU=Uになるまでしっかりと治療していこうと思う。

身体障がい者手帳・更生医療の申請

医師による診断書・意見書が揃ったので、その翌日に早速役所の障害福祉課に申請手続きに行った。

病院からの説明に加えて、事前にホームページなどで必要書類については確認しておいた。

自分の場合は必要なものは次の通り。

・医師による診断書・意見書

マイナンバーが分かるもの(マイナンバーカードを持参した)

・顔写真(4cm×3cm)2枚

・健康保険証のコピー

 

なお住民税を納めている自治体と申請手続きをする自治体が今回は同じだったので、納税額などの確認のために情報は勝手に見といてね。という同意をしたが、そうでない場合は納税額が分かる資料がいるといったことが書かれていた気がする。

 

ちなみに更生医療は特定の疾患(今回の場合はHIV治療に関わるもの)に限って補助が受けられる仕組みであるため、予め病院と薬局を指定しなければいけない。

所得制限があるものの、医療証が支給された場合は全ての医療に対して補助がされるそうなのだが、おそらく私の場合はそれには該当しないのではないかと思う。

まぁ贅沢なことは言えない。HIV治療の支援があるだけでも十分ありがたいと私は思う。

 

障害福祉課の窓口は、住民票などを受け取るためのたくさんの人が行き来する場所とは違っていて、プライバシーも守られ、またしっかり相談ができる環境だった。

障がい者手帳の申請の受付担当と、更生医療の申請の受付担当では担当者が異なるようで、順番に説明を受ける流れであり、連携がうまくされるのかが少し心配になったが、そのあたりも説明をしていただけたし、すでに治療を開始していることを考慮し、なるべく急ぎでの手続きを申し添えておくとの気づかいもしていただいた。

 

ちなみに医師の意見書には、なるべくスムーズに認可がされるように配慮された症状や治療の状況についての説明が書かれていて、その点においての医師の配慮にも改めて感謝の気持ちになった。

 

なおこの後の手続きはコロナ禍ということもあり、全て郵送で送付されてくるという。

 

更生医療の適用が決まったら、あとはそれをもって病院や薬局を利用することになるが、すべきことが一通り終わったと思うと、やれやれというかホッとした気持ちになった。

診断書の受け取り 驚きの結果 その2

HIV陽性者は免疫機能障害という内部障害ということで、身体障がい者手帳の申請をすることができる。その目的は高額な治療費に対する自己負担を軽減するための、自立支援医療(更生医療)の適用を受けるためである。

 

免疫機能障害に関する身体障がい者手帳のランクは症状の重いほうから1級~4級の4段階ある。どの級だとしても更生医療の適用を受けることができるが、3級以上であるとほかにも受けられる公的サービスが増えるのだという。

さらに2級以上であればより増えるようだが、実際のところエイズを発症し、日常生活が困難であるような状況でなければ2級以上ということはないそうだ。

僕の場合は幸いエイズは発症していない。ただし、CD4の値の低さからすると、3級の可能性もあるのだという。

 

いずれにしても、4週以上間隔を開けて、CD4とHIVウィルス量をはじめとする各種検査の2回の数値を医師が作成する診断書(意見書)に記載してもらわなければ障がい者手帳の申請ができない。

また自治体によって、申請から更生医療の適用までの期間に差があり、手続きに時間のかかる自治体もあるようだ。自分の暮らす自治体もそれなりに時間がかかるようであり、障がい者手帳と更生医療の両方の申請を同時に行うが、障がい者手帳が交付されてから更生医療の判定を行う方式らしく、1か月半以上はかかってしまう見込のようだ。

これは私の判断で始めたことだが、すでに2回目の検査の日の翌日から抗HIV薬による服薬治療を開始してしまっている。制度は手帳の交付日より前の治療費に関しては適用されないらしく、手帳交付に時間がかかれば自己負担は増えていく一方であるため、なんとか早く申請をしたいところであった。

 

とはいえHIVウィルス量は検査当日には分からないらしく、2回目の検査日に、障がい者手帳申請用の診断書・意見書と、更生医療申請用の意見書のそれぞれの作成依頼だけし、できた時点で電話連絡をもらうことになっていた。

なお連絡をもらったのは12日後なので約2週間かかった。

 

電話を受けたのは平日の正午頃だったが、たまたま仕事を休みにしていた日だったので、その日の午後に病院に向かい夕方には受け取った。

もちろんそれぞれの意見書の文書作成には費用がかかる。障がい者手帳用の意見書が4,000円、更生医療用の意見書が3,000円、消費税700円が加わって7,700円の支払いだ。このように地味に費用は嵩んでいく。お金は大事である。

 

そしてとにかく2回のCD4とHIVウィルス量が気になっていたので、文書を受け取るなり、病院のロビーのソファで内容を確認した。

ハルトが「何かが効いて、2回目にちょっと良くなったりしてたらいいなぁ。」と言い、「基本的には悪くなっていくものだからねー」と返した会話が思い出された。その日の朝もハルトは2回目の数値をすごく気にしてくれていた。

 

CD4

1回目 71μl ⇒ 2回目 129μl (平均100μl)

HIV-RNA

1回目 37,700copy/ml ⇒ 2回目 18,300copy/ml

 

なんと1回目に比べて4週間後の免疫を表すCD4値は上昇していて、

CD4を減らす働きのあるHIVウィルス量は減っていたのである。

もちろんこの間は一切治療を行っていない。

CD4についてはその日の体調などによって変わるし、上がったり下がったりを繰り返すものだとは聞いていた。

またウィルス量についても、CD4との攻防戦が繰り広げられているため、こちらも変化があるのかもしれない。

とはいえ、この4週間の過ごし方は悪くなかったということなのかもしれない。

 

違いはといえば、梅毒治療のための抗生物質を飲んでいたこと。梅毒の菌が死滅すればそれだけ体への負担は減るということもあるのだろうか?

また自分自身の免疫が低いということを強く意識し、疲れやストレスをためないように心掛けたり、アルコールを控えたり、腸内環境を良くするためにビオフェルミンやヨーグルト飲料を飲んだり、お風呂にゆっくり浸かったり、生魚・生肉を食べるのを控えたり・・・ とにかく何となく体調が良いと感じていたのは気のせいではなかったようだと思うことにした。

気分よく健康的に過ごすことがいかに大切か、それは今後、CD4を回復させていく過程においても大切なことなのではないかと思った。

弟への告知

自分がHIV陽性であると発覚してから約2か月。

幸いにも理解のある恋人がいたこと、また同じくHIV当事者であるゲイの友人2名に打ち明けることができたことで、一人思いつめるということもなく過ごすことができた。

 

しかし、この先やはり家族の誰かが知っていてくれると何かしら頼りになることもあろうかと思った。

近く、転職による転居を予定しており、役所関係の公的手続き等で代理を頼むことがあるかもしれない。やはり親族の理解者はいるに越したことはないと思い、3歳年下の弟に話をすることにした。

 

弟は妻帯者で子供もいるため、なかなか一人になる時間もないだろうが、時間を作ってくれた。

 

転職についても話をしていなかったので、その報告をしつつ、HIVの話をした。実に理性的に冷静に話を聞いてくれて、それがどういった特徴の病気なのか、最新の治療法は何なのかそういったことにしっかりと耳を傾けてくれた。

 

弟からも治療を最優先にすることは勧められた。そして、手続き等で力になれることがあればと 協力を申し出てくれた。もちろん、両親に伝えずにいることへの理解も示してくれた。

 

結局、彼にも秘密を負わせてしまうことになってしまったが、またひとつ心強い仲間が増えた気がする。

 

なお彼にはずいぶんと昔にゲイであることを何となくカミングアウトしたことがある。

そのことはきちんと覚えていたようで、

 

「今、パートナーはいるの?」

 

と聞かれた。パートナーだなんて、普通のノンケ男子は使わない。そのような配慮のある聞かれ方をしたことに驚きと感動をした。

僕は本当に人に恵まれていると改めて思った。